建築家 山田守

研究ノートから Vol.01

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山田守 若き日の肖像(東海大学建築学科蔵)

山田守 若き日の肖像(東海大学建築学科蔵)

山田守 若き日の肖像(東海大学建築学科蔵)

私は2005年より、ある近代の建築家に焦点をあて、研究を進めてきました。その建築家とは「山田守(1894~1966)」、東海大学建築学科学生および卒業生の方なら東海大学および建築学科の創設に尽力した建築家としてご存じだと思います。

山田は東京帝国大学学生時代に日本初の建築運動とされる分離派建築会に参加、卒業後逓信省に入省、技官として全国各地の電話局、郵便局の設計に携わりました。また、関東大震災の復興にも復興院嘱託として橋梁のデザイン面で協力をしました。1929~30年に渡欧、当時のヨーロッパのモダンムーブメントに大きな影響を受け帰国、インターナショナルスタイルを日本で最初期に導入したことでも知られています。

戦後は退官し独立。独自のデザインを開拓していきます。東海大学湘南キャンパス(1962~)は最晩年の山田守の夢の結晶でもありました。ただし同時期の日本武道館(1964)は建築学際的な場での酷評にさらされ、京都タワービル(1964)に至ってはメディアを大きく巻き込んだ景観論争に発展、社会的に酷評されてしまい、その渦中で死を迎えています。

山田守は戦前こそ日本建築界の中心にいましたが、戦後はカタチに重きを置いた、独自の理想を追い求めるばかりに主流から外れていった印象があります。そんな山田守について言及した先行研究は国外においてケン・タダシ・オオシマ氏の論文、山田守の傍にいた故・向井覚氏による伝記がありますが、山田守設計による個々の建築について図面分析などを通して詳細に扱ったものはなく、私が研究を行う動機となりました。

その成果はすこしずつ研究論文などで発表してきましたが、なかには研究ノートからこぼれ落ちる話題も少なくありません。このシリーズではそんなこぼれ話のような、話題を提供していきたいと思います。楽しめるかはわからず、雑多な内容になるかもしれませんが、どうぞよろしくお願いいたします。

※写真は山田守の若き日の肖像。山田守所蔵の雑誌に挟んであるのを発見しました。

↓Web TOKAIの記事もあわせてご覧ください。
https://www.press.tokai.ac.jp/webtokai/

大宮司 勝弘(だいぐうじ かつひろ)
東京家政学院大学 現代家政学科 助教

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